2014年12月16日火曜日

'15年1月5日発売『レーサーズ』特編版の進捗

『レーサーズ』『ゲッカンタカハシゴー』の読者のみなさん、
いつもありがとうございます。'67年式のスチャラ加藤です。

『レーサーズ』ブログの「Vol.30のご感想」記事にご投稿いただいた
熊野丈二さん、61ページ上段にあるゼッケン17番は仰るとおり
パトリック・イゴアのYZR250でした。
熊野丈二さんをはじめ読者のみなさん、毎回本当に申し訳ありません。
ちなみに、キャプションに書かれていた
J.P.(ジャン・フィリップ)ルジアのこの年('87年)は、
市販レーサーTZ250でのエントリーでした(最終ランキングは17位)。
翌'88年もTZ250を駆ってランキング7位。ルジアがYZR250に乗るのは、
'89年のことで、でも残念ながらランキングは前年と変わらず、7位。
'90年からはGP500へとステップアップしていきました。
そうそう、ルジアといえばゲジゲジ一本まゆ毛に、元祖「ヒジ擦り」。
「マルク・マルケスがどんだけヒジを擦ってても、おじさん、
ナニも驚きません。だってルジアのほうが先だもん」などと、
'67年生まれのワタクシは訳知り顔で若い連中にむかし話をしております。

「17番はルジアではなくイゴア」と訂正させていただいたところで、
では、この(↓)21番は誰の?





正解はこの方(↑)エディ・ローソンさん。って、ヘルメット被ってて、
よく分かりませんね。かろうじて、ヘルメットのカラーリングが
'89デザインで、分かる人には分かる!?
詳しくは、'15年1月5日発売の『レーサーズ』特編版をご覧ください。
ちなみに、昨日アメリカから帰国した編集イマイの報告によれば、
エディ取材の1日目はロサンゼルス郊外にあるMilestone trackという
モトクロス場で行われたとか(上の写真)。ご本人様にしてみれば、
「『レーサーズ』の取材も受けるけど、モトクロスの練習もしたい」
というところでしょうか。さすが、オフロード好きのエディ。
いや、ホントに好きなんだなー。だってMilestone trackっていったら、
プロのライダーも練習に行くスーパークロスコースですよ。
例えて言うなら、全日本モトクロスが開催されるようなモトクロス場で、
国際A級の連中がバンバン3連ジャンプを飛んでるなかを練習する感じ。
万年ノービスの不肖カトウには、そんななか走る気にもなれまシェン。

さて、エディ取材の4日前にはウェイン・レイニーさん宅を訪問。
「おい、'89年のことをウェインに聞くなら、俺にも聞け」
と言ったかどうかは定かではありませんが、御大(↓)も電撃参入!


はい、ウェイン現役時代のボスであり、
友人でもあるケニー・ロバーツ御大。取材は当然大いに盛り上がったとか。
ケニー、ありがとう!
※『ゲッカンタカハシゴー』の読者のみなさんにとっては、
表紙に描かれたあの“キング”ケニー、その人です。

もちろん、'89年のGP500を盛り上げたもうひとりのスター、
ケビン・シュワンツさんにもインタビュー(↓)。


ケビン取材は11月最終末に鈴鹿で行われた「モリワキ祭」に来日した際、
モリワキ本社で話を聞かせてもらいました(上の写真)。
モリワキさんとは全く関係のない取材にもかかわらず、ふたつ返事で
ミーティングルームを提供してくださった社長・森脇 護さんをはじめ、
モリワキエンジニアリングのみなさん、本当にありがとうございました!
ちなみに、なんでケビン、左手を吊ってるかというと、
モトクロスの練習でコケて鎖骨を折ったとか……。
Vol.30のジョン・コシンスキーといい、エディも、ケビンも、
アメリカ人ライダーの原体験はみなさんオフロードにあるんだなーと、
再確認しているところであります。

そんなアメリカンスター3人衆のオフロードライディングを特集した、
じゃなかった……1989年のGP500激闘の模様をレビューする
『レーサーズ』特編版の表紙は、コレ(↓)でございます。


また性懲りもなく、お正月直後の発売ということで表紙の地色は「金」。
我ながら「芸がないな……」と思いつつも、もう下版してしまいました。
あとは怒涛の本文入稿→下版です。イマイ、原稿ガンバレ。
※『レーサーズ』通常号は石倉さんに任せてますが、
この特編版は創刊号から一緒に作ってきた編集イマイにお願いしています。
(編集カトウ)

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